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2022年1月31日月曜日

源頼朝の挙兵~『吾妻鏡』が語る山木館襲撃~


伊豆の国市



1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵!。

1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国の蛭ヶ小島に流されてから約20年後のことでした。

頼朝の標的は伊豆国の目代・山木兼隆


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によると・・・

攻めるに当たって北条時政は・・・

「今日は三島大社の祭礼。多くの参詣者がいるので牛鍬大通を行くと疑われるので、蛭島通を行くべき」

と進言します。

しかし、頼朝は・・・

「大切な事業(源氏再興の挙兵)の最初のことなので裏道を使用すべきではない。

また蛭島通は騎馬では進めいないので大通を使用すべき」

と答えたのだそうです。


(三島市)

頼朝が挙兵した8月17日は三嶋大社祭礼の日でした。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条館を出陣した頼朝軍は、まずは原木の北方の肥田原へ進軍。

ここで北条時政佐々木定綱に、山木兼隆の後見役・堤信遠を攻めるよう頼んでいます。

それを承知した定綱は、子の刻、弟の経高高綱とともに牛鍬を東へ進軍。

堤信遠館を襲撃して信遠を討ち取りました。


一方、時政は天満坂を進軍して、山木兼隆館を攻めます。

そこに堤信遠を討った佐々木定綱経高高綱が駆けつけます。

さらに頼朝の命により北条館で留守をしていた加藤景廉佐々木盛綱堀親家らが駆けつけました。


そして・・・

盛綱と景廉が兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。




山木兼隆の墓
(伊豆の国市:香山寺)





こんな感じだったのでしょうか・・・
山木館襲撃MAP








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

山木館襲撃~源頼朝の挙兵~

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