1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵!。
1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国の蛭ヶ小島に流されてから約20年後のことでした。
頼朝の標的は伊豆国の目代・山木兼隆。
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『吾妻鏡』によると・・・
攻めるに当たって北条時政は・・・
「今日は三島大社の祭礼。多くの参詣者がいるので牛鍬大通を行くと疑われるので、蛭島通を行くべき」
と進言します。
しかし、頼朝は・・・
「大切な事業(源氏再興の挙兵)の最初のことなので裏道を使用すべきではない。
また蛭島通は騎馬では進めいないので大通を使用すべき」
と答えたのだそうです。
(三島市)
頼朝が挙兵した8月17日は三嶋大社祭礼の日でした。
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北条館を出陣した頼朝軍は、まずは原木の北方の肥田原へ進軍。
ここで北条時政は佐々木定綱に、山木兼隆の後見役・堤信遠を攻めるよう頼んでいます。
それを承知した定綱は、子の刻、弟の経高・高綱とともに牛鍬を東へ進軍。
堤信遠館を襲撃して信遠を討ち取りました。
一方、時政は天満坂を進軍して、山木兼隆館を攻めます。
そこに堤信遠を討った佐々木定綱・経高、高綱が駆けつけます。
さらに頼朝の命により北条館で留守をしていた加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家らが駆けつけました。
そして・・・
盛綱と景廉が兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。
(伊豆の国市:香山寺)
こんな感じだったのでしょうか・・・
山木館襲撃MAP
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