かつての鶴岡八幡宮には、供僧(ぐそう)の住坊(二十五坊)がありました。
供僧とは、神社に奉仕する社僧。
その別当(長官)は、神主よりも上の地位にありました。
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初代別当は園城寺の円暁。
『吾妻鏡』によれば・・・
円暁は、1182年(寿永元年)9月20日、鎌倉へ下向。
輔仁親王(後三條院の子)の孫で源義家の外孫なのだとか。
源頼朝は、9月23日、鶴岡八幡宮の初代別当に任じています。
その後、尊暁・定暁・公暁(源頼家の子)・慶幸と園城寺関係者から鶴岡八幡宮の別当が任命されています。
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(三井寺)
園城寺は、天台寺門宗の総本山。
源頼義は前九年の役の戦勝を祈願。
頼義の三男義光は園城寺の新羅善神堂で元服して「新羅三郎義光」と名乗りました。
源頼朝の異母弟で、源義経の同母兄の義円が入った寺でもあります。
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鎌倉との繋がりを求めて。