その途中の山上から見えたのは土肥館が焼け落ちる光景でした。
実平は頼朝の前で「我が家は何度も焼けば焼け」と謡い舞ったといいます。
それが今に伝えられている「焼亡の舞」。
※上の写真は湯河原町の土肥祭で演じられた「焼亡の舞」。
8月28日、頼朝は真鶴から船出します。
岩海岸へと下る坂は「謡坂」と呼ばれ、実平は謡い舞いながら浜へ下っていったのだと伝えられています。
(真鶴町・岩海岸)
(真鶴駅前)
今はないかもしれません。
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