覚山尼
東慶寺開山の覚山尼は、八代執権北条時宗の妻。
覚山尼讃歌の碑
(仏殿前)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
用堂尼は後醍醐天皇の皇女。
鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王は兄。
兄の菩提を弔うために東慶寺に入山したのだと伝えられています(五世)。
用堂尼が入山したことで東慶寺は松岡御所と呼ばれるようになります。
用堂尼
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
天秀尼は豊臣秀頼の子。
徳川二代将軍秀忠の娘千姫の養女。
大坂落城後、東慶寺に入りました(二十世)。
徳川家康に望みを聞かれた天秀尼は「開山よりの縁切寺法が断たれることのないように」と願い出たと伝えられています。
天秀尼