明月院は、1160年(永暦元年)、山内経俊によって創建された「明月庵」を起源としているいう寺。
平治の乱で討死した父俊道の菩提を弔うために創建されたのだといいます。
のちの1256年(康元元年)、北条時頼がこの地に最明寺を建立します。
最明寺は時頼の死後、廃絶してしまいますが、時頼の子の時宗が最明寺を前身とした禅興寺を創建します。
(上杉憲方墓)
1380年(康暦2年)、上杉憲方が禅興寺を中興。
明月庵も明月院と改められ、禅興寺の支院の首位に置かれました。
明月院やぐらは憲方の墓ともいわれます。
悟りの窓の向こうに見える庭園は紅葉の季節に公開されます。
枯山水庭園
(鎌倉十井)
お茶所
禅興寺は明治初年に廃寺となり、現在は支院の明月院だけが残されています。