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2015年5月6日水曜日

世界文化遺産登録が確実に!韮山反射炉

5月4日、「明治日本の産業革命遺産製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の23の構成施設について、ICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)は世界文化遺産への登録勧告を行いました。

伊豆の国市の韮山反射炉もその中に含まれています。



反射炉とは、金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉。

熱を反射させる仕組みになっていることから「反射炉」と呼ばれています。


1853年(嘉永6年)にペリーが来航。

海防の強化に乗り出した江戸幕府は、韮山の代官江川英龍を責任者として、大砲鋳造のための施設を造ることを決定します。


鋳鉄製24ポンドカノン砲
(復元)

24ポンドカノン砲は、韮山反射炉で最も多く鋳造された大砲です。


江川太郎左衛門英龍


江川英龍(坦庵)は、韮山で地位を固めた江川氏の三十六代目。

国防の必要性を幕府に訴え、江戸湾防備のために品川沖に台場を設置し、そこに備える大砲を鋳造するための反射炉を造り始めました。

残念ながら、その完成を見ずに亡くなりますが、それを引き継いだ子英敏が1857年(安政4年)に完成させています。


 伊豆の国市江川邸


江川氏は、源満仲の二男宇野頼親を祖とする清和源氏

1156年(保元元年)の保元の乱で崇徳上皇方について敗れた三代目の宇野親信が、落ち延びて韮山の地に定住したのだといいます。


四代目の治信は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参じたと伝えられ、十六代目の英親は、伊東に流されていた日蓮を屋敷に迎え供養を尽くしたといいます。



本立寺は、江川氏の菩提所。

日蓮が教化を行ったところとされ、鐘楼の梵鐘は、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘です。

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