伊豆の国市の韮山反射炉もその中に含まれています。
反射炉とは、金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉。
熱を反射させる仕組みになっていることから「反射炉」と呼ばれています。
1853年(嘉永6年)にペリーが来航。
海防の強化に乗り出した江戸幕府は、韮山の代官江川英龍を責任者として、大砲鋳造のための施設を造ることを決定します。
鋳鉄製24ポンドカノン砲
(復元)
24ポンドカノン砲は、韮山反射炉で最も多く鋳造された大砲です。
江川太郎左衛門英龍
江川英龍(坦庵)は、韮山で地位を固めた江川氏の三十六代目。
国防の必要性を幕府に訴え、江戸湾防備のために品川沖に台場を設置し、そこに備える大砲を鋳造するための反射炉を造り始めました。
残念ながら、その完成を見ずに亡くなりますが、それを引き継いだ子英敏が1857年(安政4年)に完成させています。
江川氏は、源満仲の二男宇野頼親を祖とする清和源氏。
1156年(保元元年)の保元の乱で崇徳上皇方について敗れた三代目の宇野親信が、落ち延びて韮山の地に定住したのだといいます。
四代目の治信は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参じたと伝えられ、十六代目の英親は、伊東に流されていた日蓮を屋敷に迎え供養を尽くしたといいます。
本立寺は、江川氏の菩提所。
日蓮が教化を行ったところとされ、鐘楼の梵鐘は、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘です。
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