1180年(治承4年)、挙兵した頼朝は、源氏ゆかりの鎌倉に入って武家の政権都市を創り上げたました。
そして、鎌倉雪ノ下の松源寺(廃寺)には、伊豆日金山の地蔵菩薩を模した地蔵菩薩像が安置されたと伝えられています。
(横須賀東漸寺)
横須賀市にある東漸寺の「日金地蔵」は、もとは松源寺の本尊だった地蔵菩薩像で、明治の神仏分離によって各地を転々とした後、東漸寺に安置されたと伝えられています。
この像は、1462年(寛正3年)に鎌倉仏師の宗円によって造立されたもので、横須賀市の重用文化財に指定されています。
「日金地蔵」は、鎌倉二十四地蔵の一つに数えられています。
松源寺の山号は日金山。
窟堂の東にあったと考えられ、鶴岡八幡宮寺の僧の荼毘所であったともいわれています。
窟堂は、松源寺に管理されていました。
明治の神仏分離によって廃寺となっています。
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