鶴岡八幡宮でも1870年(明治3年)に薬師堂、護摩堂、大塔、経蔵、仁王門が破壊されます。
鶴岡八幡宮境内図 (1732年(享保17年) |
~主な仏像の行方~
仁王像
壽福寺に移され現在も壽福寺の本堂に安置されています。
弘法大師像
等覚院の本尊だったといいます。松源寺に移された後、壽福寺に移されました。現在は青蓮寺に移され本尊として安置されています(鎖大師)。
薬師三尊像
薬師堂に安置されていました。松源寺、壽福寺を経て現在はあきる野市の新開院に安置されています。十二神将像も同じです。
銅造薬師如来像
もと神宮寺の本尊だったといわれる仏像です。壽福寺に移されますが、現在は鎌倉国宝館に寄託されています(参考:壽福寺の薬師如来像)
地蔵菩薩半跏像
松源寺に安置されていました。長谷寺に移された後転々とし、現在は横須賀市の東漸寺に安置されています。
如意輪観音像
法華堂(現白旗神社(西御門))に安置されていました。現在は西御門の来迎寺(西御門)に安置されています。宅間浄宏作と伝わる地蔵菩薩像も来迎寺に移されています。
伝源頼朝坐像
旧白旗神社の御神体だったといわれています。東京国立博物館に所蔵されている像がそれあろうといわれています。
地蔵菩薩立像
扇ヶ谷にあった智岸寺の像で、智岸寺廃絶後、正覚院に安置されていました。現在は瑞泉寺の地蔵堂に安置されています(どこも苦地蔵)。
※松源寺は窟堂の東側にあったといわれ、鶴岡八幡宮寺の僧の荼毘所だったといわれています。神仏分離令が発出された時は存続していたようですが、いつ頃廃絶したのかはわかっていません。
白旗神社の手水舎の水盤には蓮弁が彫刻されています。
鶴岡八幡宮が神仏習合の宗教施設だった頃の名残です。
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神仏分離令が出されると、鶴岡八幡宮には、「僧尼不浄の輩入るべからず」と掲示されたといいます。