(※大仏宣時は北条貞時の時代に連署を務めた人物です。)
『前賢故実』より
(国会図書館デジタルコレクション)
ある宵、宣時のもとに時頼からの使者が来て、
「すぐ来るように」
とのことでした。
宣時は、直垂の準備がなくぐずぐずしていると、
再び使者が来て、
「夜なのだからどんな服装でもよいから早く来い。」
とのこと。
宣時がかけつけると、時頼は銚子と土器を持って出てきました。
そして、
「ひとりで酒を飲むのがさびしいので来てもらったが、これといった肴もない。何か台所から探してきてくれないか」
と頼まれました。
宣時は、土器の中に味噌が残っているのを見つけると、
時頼は、
「これでいい」
といって二人で酒を飲んだといいます。
宝戒寺に建てられている石碑です。
北条時頼の館もこの辺りにあったものと思われます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
北条時頼の母は、松下禅尼です。
『徒然草』には、松下禅尼が時頼に質素倹約の心を教えたことも記されています。
『前賢故実』より
(国会図書館デジタルコレクション)
ある日、時頼は母に招かれ母の家を訪れます。
すると、母は障子の切り張りをしていました。
松下禅尼の兄安達義景が、
「そのようなことは誰かにやらせます。」
というと、
「私より上手に貼れる者はいないでしょう。」
といって、障子の破れたところのみを丁寧に張っていたそうです。
それを見た義景は、
「全部張り替えた方が簡単ですし、見栄えも良いでしょう。」
というと、
「今日はわざとこうしておくのです。物は修理して使うものだということを時頼に教えるためです。」
と答えたといいます。
甘縄神明神社に建てられた石碑です。
松下禅尼は源頼朝に仕えた安達盛長の孫にあたります。