1219年(承久元年)1月27日、三代将軍源実朝は、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席し、その帰りに甥の公暁によって暗殺されてしまいます。
実朝の首を持った公暁は、鶴岡八幡宮の裏山を越えて三浦義村邸に向かいますが、義村によって差し向けられた長尾定景によって討たれました。
龍寳寺には源実朝の位牌が安置されています。
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~七騎谷の伝説~
龍寳寺のある谷は、「七騎谷」と呼ばれています。
かつては深い谷で人が入ることは希であったといいます。
伝えられている話では、
公暁が持っていた実朝の首を、七騎の武士が持って逃げ、この谷に隠れて追手に捕まるのを逃れたのだといいます。
その後、この谷は「七騎谷」と呼ばれるようになったということです。
~実朝の首の行方~
『吾妻鏡』によれば、実朝は勝長寿院に埋葬されますが、首がないため髪の毛を代わりに納めたと記されています。
そして・・・
秦野市には「源実朝公御首塚」があります。
長尾定景とともに公暁の追討を命ぜられた武常晴は、実朝の首を拾い秦野の地に葬ったと伝えられています。
この「武常晴」の伝説と「七騎の武士」の伝説とには何らかの関係があるのでしょうか・・・?
(秦野市)
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