別冊『鎌倉手帳』

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2017年1月26日木曜日

私の宝物~萩原光之:思い出の背広~




「若い人には少し地味過ぎないでしょうか・・・・・・」
「長い間着たいのでこれで作って下さい」

この会話は今から42年前の昭和40年、私の就職祝いに背広を作ってくれるという父と私で洋服店へ行った時の、店の主人と私との会話なのです。

店の主人も私の父も若い人向きの柄を薦めてくれたのですが、どうしてもその地味な柄の背広を作りたかったのです。

出来上がってみると店の主人も

「少し地味のようですが、若い人にはかえって品が良くておしゃれに見えますね」

と、お客思いの言葉をかけてくれたのでした。

出来上がった背広は入社式はもちろん、何かあるたびに着るのが常で、私には一番気に入っている背広でした。

その後結婚もして、子供が小学校へ入る頃になると、どうしても今はやりの背広の出番が多くなって来てしまったのです。

それでも年度初めとか、勤続20周年の式典の頃までは窮屈になったものの、何とか我慢して親父の記念の背広と付き合っていられたのですが、次第にタンスの奥の方へ追いやられて、いつしか忘れられた可愛そうな背広になってしまったのです。

その後妻と背広を買いに行った時に

「この柄、昔良く着ていた背広に似ているわね」

と言われて懐かしく思い出したのでした。

平成19年2月頃になると、間もなく定年退職だから新しく背広でも作ろうかと話していた時に急にあの懐かしい背広を思い出したのです。

タンスの奥から出してはみたものの、ズボンの裾の折り返し部分の糸はほつれているし、お尻と太ももの部分はテカテカに光っていてどうにも着られる状態ではなかったのです。

その時はあきらめたつもりだったのですが、いよいよ送別会の日程などを知らされると、親父が末っ子の私の為に無理をして作ってくれたあの背広の事が、又息を吹き返して来たのです。

試しに送別会の前の日にはいてみるとウエストが窮屈ではけないのです。

送別会は普段の背広で済ませたものの、頭の中はまだ42年前のあの背広がグルグル回っているのです。

そんな心を妻が感じたのでしょうか、

「着て行きたいのなら直してもらえば・・・」

と言ってきたのです。


次の日の朝一番に作ってくれた洋服店へ行ってみました。訳を話すと

「この背広の事覚えてますよ、親父が地味じゃないかと言っていましたのよね」

「私は親父に言われてこの背広の生地を運んだのを覚えています」

「旦那さんの事も覚えていますよ、髪の毛は白くなっていますが、昔と変わらないじゃぁないですか、修理代は少し高くなりますが何とか着られるようにしてみましょう」

そう言ってくれたのです。

おかげで退職の日に着て行く事が出来ました。

お別れの挨拶の時に

「最後に余談になりますが、今私が着ているこのよれよれの背広は、42年前に私の親父が就職祝いに作ってくれて、42年前の4月1日の初出勤の日に着た背広です。

ただどうしたのか、42年経ったらウエストが細くなっていて、つい先日修理して、やっと今日着て来られたのです」

涙が出そうだったのでジョークを入れて涙を抑えたのです。


家に帰ったら職場の女性から花束が届いておたので、夜、電話でお礼を言った後

「背広の話はしない方が良かったかねぇ~」

と聞いてみました。

「いいえ、良かったですよ。萩原さんらしくて私、目がうるうるしてしまいました」

そんな嬉しい一言が返ってきました。


あの背広は、私がいつかあの世の親父に会いに行く時には持って行く事になりそうです。

-60歳




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