別冊『鎌倉手帳』




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2011年8月20日土曜日

源頼朝相模国へ進軍~従った武将は・・・(石橋山)~


1180年(治承4年)8月17日に挙兵し、伊豆国の目代山木兼隆を討った源頼朝は、8月20日、伊豆国を出て相模国に進軍します(参考:源頼朝の挙兵・・・山木館襲撃)。


(小田原市)


『吾妻鏡』によると、
頼朝に従った武将は以下のとおり。


北条時政は、頼朝の妻政子の父。
宗時・義時は時政の子。時定は時政の甥とも、従兄弟ともいわれている人物。
宗時は、石橋山の合戦で討死(参考:北条宗時の墓)。

安達盛長
頼朝の乳母比企尼の娘を妻とし、流人時代の頼朝を支えた人物。頼朝政子との縁を取り持ったともいわれています。

工藤茂光 工藤親光

宇佐見助茂

土肥実平 土肥遠平
実平は、現在の湯河原町・真鶴町を本拠としていた武将。
石橋山での敗北後、頼朝を手引きして真鶴から安房に渡ります(参考:源頼朝船出の浜

土屋宗遠 土屋義清 土屋忠光

岡崎義実 佐奈田義忠
義実は、頼朝が頼りとしていた三浦義明の弟。義忠義実の子。
義忠は、石橋山の合戦で討死。

佐々木定綱 佐々木経高 佐々木盛綱 佐々木高綱
近江源氏佐々木秀義の子息たち「佐々木四兄弟」(参考:早川城址 小動神社 万福寺(大田区))。
山木館襲撃では遅参しますが、頼朝は涙を流して四兄弟を迎えています(参考:源頼朝挙兵の日)。

天野遠景 天野政景

宇佐見正光 宇佐見実政

大庭景義
大庭氏は、兄景義は頼朝に、弟景親は平家方について戦います(参考:神明大神宮)。

豊田景俊

仁田忠常
頼朝の側近。
のちに起こる「曾我兄弟の仇討ち」では、十郎祐成を討ち取り、「比企氏の乱」では、比企能員を暗殺しています。

加藤景員 加藤光員 加藤景廉
堀親家 堀助政
親家は頼朝の側近。
のちに、木曽義高の追討を命じられています(参考:木曽塚 岩船地蔵堂 木曽義高の誅殺

天野光家

中村景平 中村盛平

鮫島宗家 鮫島宣親

大見家秀

近藤国平

平佐古為重

那古谷頼時

澤宗家

義勝房成尋

中惟重 中惟平

藤井俊長
頼朝の父義朝の側近鎌田政長の子。

中原光家
小中太光家とも呼ばれます。
のちに、頼朝の妾亀の前を自宅に預かっています(参考:小坪路 鐙摺山)。


この時点で、頼朝が最も頼りにしていた三浦一族は到着していません。

海上を舟で渡ってくる予定だったようですが・・・

『吾妻鏡』によれば、三浦一族が三浦を発ったのは、8月22日のことのようです。
(参考:三浦一族の進発~石橋山の戦い~


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』にみる源頼朝の挙兵

源頼朝


源頼朝の挙兵・・・山木館襲撃

源頼朝挙兵の日


源頼朝相模国へ進軍~従った武将は・・・~

三浦一族の進発~石橋山の戦い~

源頼朝の敗戦~石橋山の戦い~

源頼朝を助けた武将たち~石橋山の戦い~

源頼朝・・・真鶴から安房へ

先陣を切って討死した佐奈田与一義忠~石橋山の戦い~

石橋山の戦いと衣笠合戦~三浦義明の討死~

渋谷重国と佐々木四兄弟~石橋山の戦い~

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梶原景時と石橋山の戦い

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法華経を読み続けた長尾定景~石橋山の戦い~

源頼朝大軍を率いて鎌倉入り








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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