別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年3月6日月曜日

二俣川に散った鎌倉武士の鑑:畠山重忠

 畠山重忠
(畠山重忠公史跡公園:深谷市)


武蔵国の畠山重忠は、1180年(治承4年)、源頼朝の鎌倉入りの際に先陣を任された武将。

頼朝没後の1205年(元久2年)、北条時政の謀略により横浜市旭区で最期を遂げました。

📎畠山重忠の乱


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(鎌倉)

「鎌倉武士の鑑」と称された重忠。

源頼朝の信頼を得て鎌倉の屋敷も御所の南側という重要地に置かれました。


(鎌倉)


重保は重忠の嫡男。

鎌倉の由比ヶ浜三浦義村の追手によって討たれています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

畠山重忠公碑
(横浜市旭区)

重忠の首が葬られたとされる地
(横浜市旭区)

(横浜市旭区)

重忠の霊堂と主従が葬られた塚
(薬王寺:横浜市旭区)

重忠の妻が葬られた地
(横浜市旭区)

(横浜市旭区)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 畠山重忠主従の墓
(畠山重忠公史跡公園:深谷市)

 満福寺
(畠山重忠が再興した寺:深谷市)

 畠山重忠像
(菅谷館址:嵐山町)



 鎌倉手帳



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