別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2012年7月27日金曜日

夏休みの自由研究:源頼朝~伊豆・箱根・鎌倉~

源氏再興の挙兵をした源頼朝と伊豆・箱根・鎌倉。


三嶋大社(静岡県三島市)

源頼朝は、源氏再興を祈るため、三嶋大社には百日間の日参を行ったといいます(源頼朝が挙兵したのは三嶋大社の例祭の日でした。)。


守山八幡宮(静岡県伊豆の国市)

源頼朝は、守山八幡宮に祈願して挙兵したといいます。


石橋山古戦場(神奈川県小田原市)

1180年(治承4年)8月17日に挙兵した源頼朝は、伊豆国の目代山木兼隆を討つと相模国へと進軍します。
しかし、8月24日、石橋山大庭景親らに敗れ、山中へ逃げ込みます。


しとどの窟(神奈川県湯河原町)

石橋山で敗れた源頼朝は、土肥実平に導かれ、土肥郷の椙山に逃れました。「しとどの窟」は、頼朝主従が隠れた場所と伝えられています。


箱根神社(神奈川県箱根町)

土肥郷の椙山に逃れた源頼朝は、その後箱根権現の別当行実とその弟永実を頼ります。
しかし、行実と永実の弟智藏房良暹が兄たちを裏切り、源頼朝を襲撃しようとしていることが判明したため、再び土肥郷へと逃げます。


鵐窟(しとどのいわや:神奈川県真鶴町)

土肥郷へ逃れた源頼朝は、鵐窟に隠れ潜んだといいます。


岩海岸(源頼朝船出の浜:神奈川県真鶴町)



8月28日、源頼朝は真鶴岬から安房国へと船出し、翌日には安房国に到着しています。その船出した地が真鶴町の岩海岸だといわれています。


伊豆山神社(静岡県熱海市)

その頃、源頼朝の妻北条政子伊豆山権現を頼っていました。平氏の手から逃れるため、別当の文陽房覚淵の計らいによって、秋戸郷(あきとのごう)に隠れていたといいます。
北条政子は、秋戸郷源頼朝が安房へ渡ったことを知らされています。


鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)

安房国で体勢を立て直した源頼朝は、石橋山の敗戦からおよそ40日後の10月6日、大軍を率いて相模国へ入りました。翌7日には先祖源頼義が創建した由比郷の由比若宮を遙拝しています。
鎌倉に入った源頼朝が最初に行った事は、この由比若宮を小林郷へ遷座することでした。以後、鎌倉は鶴岡八幡宮を中心に発展して行きます。
10月12日には、北条政子秋戸郷から鎌倉に入っています。


鎌倉の歴史と源頼朝
https://www.yoritomo-japan.com/yoritomo-top.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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